先日の記事でも触れましたが
開業直後の北総開発鉄道は新鎌ヶ谷から高架を降り
新京成の北初富(当時地平)へと接続しておりました。
その連絡線、
高架脇に盛り土で築かれていたと記憶しています。
高架をくぐる部分は
今でも北総線の高架の「足」の形で
「あぁここだったんだ」と
容易に想像できるのではないでしょうか。
今はその盛り土も取り除かれ
このカットの右側、
保線車両?の停まっている後ろでプッツリ切れているのでしょうね。
ここから新京成につながる複線が坂を下っておりました。
今でこそ2面4線の大きな駅になった新鎌ヶ谷ですが
開業当初は
かつての東京メトロの妙典と同じく
ホームの準備はしてあるけれど列車は通過してしまう
という光景が見られたものです。
それが今では鎌ヶ谷一のジャンクション。
梨畑の中で単線同士の新京成と野田線がクロスしていた
なーんて場所だったのを知る人も少なくなってしまったでしょうね。
私も記憶の中にはあるのですよ、
幼少時だった故写真は撮れてませんが・・・
最近思うのは
幼少時に見た光景を念写で復元できないかな
なんて夢物語。
そう考えたことがある方、いませんか?www
そんなおバカな妄想を物ともせず
AEスカイライナーは今月末から
ほぼ完全20分ヘッド化されます。
こんな発展を遂げようとは
梨畑たちも想像できなかったでしょうね・・・