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深名線、1994年7月の思い出(5)次の列車まで5時間待ち

まだまだ続きます、深名線探訪シリーズ。
第5弾となりました。
今までの記事は↓をご参照ください。
https://railrailrail.xyz/深名線、1994年7月の思い出(1)/
https://railrailrail.xyz/深名線、1994年7月の思い出(2)/
https://railrailrail.xyz/深名線、1994年7月の思い出(3)/
https://railrailrail.xyz/深名線、1994年7月の思い出(4)朱鞠内駅うろうろ/
さて
名寄側から入って来た深名線の旅。
運転系統が途切れる朱鞠内で一旦停止です。
多くの人は
乗って来た列車の折り返しに乗って
とっとと名寄に戻ってしまうとか。
あなたはそうじゃないのか?
車掌さんに問われて初めてその行動パターンを知りました。
私はむしろ
待ち時間に写真撮ったり色々楽しみたい派なので
はなから5時間待ちの行程を組んでいました。

まずは
その名寄に帰って行ってしまう列車をどこかで撮ろう!
と、名寄方向の線路沿いに歩き始めました。
すぐ行き当たった踏切から2カット。

1カット目は望遠側を使って2番線に停まるキハ53を撮ってました。
2カット目は広角側を使って腕木式信号を入れていました。
・・・まだ腕木式、あったんですね。
ちなみに撮影は1994年7月です。
これだけでは飽き足らず
さらに歩っていたようです。・・・さすが20代の自分(^ ^;;
辿り着いたのは、駅が見下ろせる小高い地点。

北から南を見ています。
駅西側には集落が見えますが
駅東側は原野のままのようです。
こういう光景、
たくさんあったんでしょうね。
この頃北海道では
もうすでに多くのローカル線が廃止になってしまっていましたが
深名線だけでもこういう光景を見れたことに
幸運だったなぁと
四半世紀を経て改めて思いました。
あ、動き始めました。

2番線から出る名寄行きは1日これ1本のみ。
これもまた貴重な光景。
これだけのローカル線で踏切に引っかかる可能性も無茶苦茶低いだろうに・・・。
これもまた貴重な光景?www。

さぁ列車はいなくなってしまいました。
どうすんべ?
若かった私は
どうやら深川寄りの隣駅まで歩いてしまったようです。
この後乗る列車は深川からやってくるのがわかってましたから、
どうせだったら1駅でも多く乗ってしまおう!
そう考えたんではなかろうか、と。
約3キロ。
・・・今だったらやるかな・・・汗。

歩き始めると色々出て来ます。
まずはこれ。

冬季通行止めの踏切の案内。
これ、郡山在住時(2017〜2019)に磐越西線沿線でもよく見ましたわ。
その時も「どこかで見たよなぁ・・・」とは思ってたのですが
実はこんなところでこんな昔に見ていたんですね。
磐越西線と深名線じゃ沿線人口全然違うと思いますが
踏切がある限りはこのご案内が必需品なんですね、雪が多いところでは。
そして雪覆い?のついた朱鞠内トンネルへ。

この辺りは道路と線路は少し離れてしまっていました。
歩道スペースが狭かったのですが
車が全然来なかったのでちょっとホッと。

3キロ歩いて辿り着いたのがここです。

共栄駅。
駅全体はこんな感じでした。
駅というよりは仮乗降場のまんま、という感じですね。
あ、若かりし頃の変なおっさんが1人写ってますがお気になさらぬよう・・・(^ ^;;

前回のダイヤ改正あたりから
こんな感じの駅の廃止が続いています。
まぁ見ての通り民家なんか見当たらない場所も多いでしょうから
昨今の情勢下では廃止やむなし・・・でしょうか。
国鉄からJRに変わって
そもそものお役目が変わってしまいましたからねぇ・・・。
どちらにしても
こんな感じの駅での乗車体験、貴重なものだと感じています。

炎天下を歩き
ビチャビチャになったシャツも乾こうかというころ
深川からの朱鞠内行きがやってきました。

この列車も空いていました。
さぁ
進路はこちら。

再び朱鞠内めざして北上します。
あともう1回、つづく!
https://railrailrail.xyz/category/過去ポジ・深名線の旅・本編/

1994年7月
深名線 朱鞠内〜湖畔、朱鞠内〜共栄、添牛内〜共栄
canonEOS5 EF28-105mmF3.5-4.5 USM、EF200mmF2.8L USM

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