スイッチバックになっている遠軽駅。
1989年4月末までは、その先にまっすぐ線路が繋がっていました。
名寄本線。
石北本線が北見峠を越えてやってくるまでは、
宗谷本線の名寄まで行き
そこから興部、紋別、中湧別と経由して遠軽までやってくる
名寄本線がメインルートでした。
その時代であれば
遠軽でスイッチバックせず
そのまま網走方面に向かえたんでしょうね。
その名残を味わうべく国道242号を
遠軽の先のかつて線路があった方に進んでみました。
道幅も広いし通行量も多いなぁ
と思っていたら
進行方向右側に道の駅が見えてきました。
道の駅かみゆうべつ温泉チューリップの湯。
平日なのと
温泉がまだオープン前だったので
駐車場はガラガラ。
お、駐車場の向こうに跨線橋が残っていますね。
近くに行ってみます。
明らかに駅跡ですね。
駅名表記を探してみたら・・・
中湧別でした。
道の駅は上湧別で
昔の駅は中湧別。
かつてのそれぞれの駅は4キロほど離れていた様ですが、
この辺りの地名の位置関係、どうなっているんでしょうね。
かつてはここから
紋別方面への名寄本線、
湧別方面への名寄本線の支線、
網走方面への湧網線、
そして遠軽方面へと
4方向に線路が伸びていました。
大分岐点な駅だったんですねぇ。
駅舎はなくなってしまった様ですが
残された
ホーム、跨線橋、車掌車が
多少なりとも往時の雰囲気を残しているとも取れましょうか。
そういえば
1987年の学生時代の北海道旅行時に
網走からサロマ湖畔のユースホステルに向かうのに
当時でもバカ高かったバスに揺られました。
旅行したのは8月末。
バスの車窓からは
その年の3月に廃止されたばかりの湧網線の残骸が
数多くみられましたねぇ。
その時はまだ名寄本線は残っていたはずだったので、
網走から長万部までおおとりで一気に大移動!
なんてことをしていなければ
少し足を伸ばして
この駅の生きていた時代を見ることができていたかもしれませんね。
当時はそこまで頭が回らず。
北海道ワイド周遊券で追加料金なしで特急に乗れるぜ!
の方に気持ちが持って行かれていたんでしょうねぇ・・・。
ふと
見上げると・・・
最近駅から姿を消しつつある時計がぶら下がっていました。
この頃の時計は大きくて分厚くて存在感がデカいですね。
物理的にも精神的にもデカい時計に
定時運行や
何がなんでも走らせるぞ(お客さんを届けるぞ)という矜持を感じましたが、
時計をどんどん撤去する様な会社にはないでしょうね、そういう思いは。
それにしても
この1時?13時?はいつの1時or13時に止まったんでしょう?
あとから調整されたにしても
なぜこの時刻?
ちょっと謎の残った中湧別駅跡でした。
2024年10月18日
旧名寄本線 中湧別駅跡
canonEOS R5 RF24-105mmF4L IS USM
#名寄本線
#中湧別駅
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