過去ポジ・新潟交通

過去ポジ・新潟交通

1998年新潟交通の旅(8・完)賑やかなりし車内風景

8回に渡った新潟交通の旅、今回で完結です。車内風景を撮ったカットも残っていましたが、結構乗客いたんですねぇ。鉄分のある奴が全く写っていないというのもまた貴重さを押し上げてるような気がしますw。そう、そういう光景が見たいのです。そのためには普段の生活の中で粛々と記録していかねば・・。さて次回からは蒲原鉄道編スタートです。
過去ポジ・新潟交通

1998年新潟交通の旅(7)モハ10形は堤防とともに進む

第7弾まで来ました、新潟交通の旅。今更ながら味方で降りた理由がわかりません。交換駅や車庫のある駅だったら容易に想像つくのですが・・・。次なる地への時間がなかったからなんでしょうか?そう、新潟交通の「次」もあったのです。同じ年に廃止になった路線。そう「あそこ」です。次の次の回からそちらの話題になりそうです。
過去ポジ・新潟交通

1998年新潟交通の旅(6)味方駅にて途中下車

再び新潟交通です。なくなってしまう路線を訪れるときは大抵終点まで乗り通していたものですが・・・あれあれ?途中の駅で降りてしまっていたようです。堤防脇の小さな駅・味方。交換設備も無い棒線駅になぜに降り立ったのか???今となってはわかりません。20年の時というのはそんなもん???。でも印象深いカットは得られてたようです。
過去ポジ・新潟交通

1998年新潟交通の旅(5)モハ10形に揺られる旅路

新潟交通、ようやく乗車したカットが出てきました。起点から1つ目の東青山からモハ10形の乗客に。天気も良かったみたいだし電車はガラガラだし旅人にとっては最高の状況だったようです。もう20年以上も前の光景なのかぁ・・・。小さなフィルムのコマの中の光景は今でも色鮮やかでした。まるで今も走っているかのように・・・。
過去ポジ・新潟交通

1998年新潟交通の旅(4)1つ目の駅・東青山にて

新潟交通の旅第4弾、築堤上の小駅・東青山でのカットです。このカーブ、今でも地図上ではっきりと確認することができます。周りは結構住宅があったと記憶してますが、この時ここに現れた乗客は私1人のみ。新潟駅まで直通で行けるバスの方が好まれてたのかなぁ・・・などと妄想。さていよいよここから乗車します。
過去ポジ・新潟交通

1998年新潟交通の旅(3)モハ10形、信濃川関屋分水路を渡る

もしかすると最後の一文が一番言いたかったことなのかもしれない(^ ^;;過去ポジ見てると「今はどうなってるんだろ?」と気になるんですよね。そんな場所が増える一方どこにも行けない日々も伸びる一方。廃線跡を辿って月潟駅跡でモハ10に再会したい。やりたいことは実に単純なことなんです。計画山積。
過去ポジ・新潟交通

1998年新潟交通の旅(2)モハ10形、行ったり来たり

新潟交通の日車顔のモハ10形を駅の西方でしつこく撮ってたようですw。よく調べてみたら、モハ10形とは言いつつも色々と細かな差異があってもっと細分化できるようです。でも私のブログは研究系じゃなくて懐かしいねぇで終わっちゃう系なのでそこそこに(おいおい)。それにしてもシンプルでキレイですね。今でもこんな車両あったらなぁ。
過去ポジ・新潟交通

1998年新潟交通の旅(1)東関谷駅の光景

1998年の新潟行きの目的は新潟交通の乗りと撮りでした。翌年の廃止を見越していたのだと思いますが、今と違って同業の方とは全然会いませんでしたわ(^ ^;;20年以上前はまだまだ鉄道趣味は今ほど認知されていなかったのでしょうか?それにしても優しい雰囲気の日車顔。今も走ってそうな気がしてくるから不思議です。