過去ポジ・名古屋鉄道

過去ポジ・名古屋鉄道

名鉄パノラマカー、今はなき東笠松駅を通過!

併用軌道をゆっくり進む電車を撮った後は、高速運転のパノラマカーを撮っておりました。しかも今は廃止されてなくなってしまった東笠松駅で。いろんな意味で再撮影不可能なカットがまぁ出てくる出てくるw。この時は「ついで」のつもりで撮ってたと思うのですが、そんなカットが「おぉ!」と感嘆を呼ぶカットになろうとは。我ながらビックリw
名鉄岐阜市内線

モ510形、1998年秋の名鉄新岐阜駅前にて

今はなき名鉄岐阜市内線一派を語るうえでこの車両を抜きにすることはできないでしょう。モ510形。異彩を放つ独特の風貌。これはかっこよかった。引退はしてしまいましたが今も岐阜の駅前に鎮座しているとか。再会せよとの神の思し召しとしか思えませんね、これは。コロナが片付いたら参拝に参らねば!
名鉄美濃町線

名鉄美濃町線の旅(6)稲荷社と下有知駅と

20数年前の名鉄美濃町線の旅、いよいよ最終回です。真っ赤な鳥居と真っ赤な電車のカットは今見てもいいですね。グーグルマップで見てみたらお社が健在なのは確認できましたが線路は・・・。20数年も経つといろいろと変わってしまうのは仕方ありませんね。この時の様子を残せたことに改めて満足感を感じている次第です。
名鉄美濃町線

名鉄美濃町線の旅(5)専用軌道?併用軌道?その曖昧さがいいのかも

やっと美濃町線に沿って歩き出しました(^ ^;;併用軌道もあった、という記憶だったんですが、見直してみると「もどき」な場所が多かったみたいですねぇ・・・。今の時代だったらこの軌道敷に突っ込んでくる車が多数出てきそうだ・・そう見えてしまいました。あ、でも今より車少なかったのかな?20年の時間の壁はなかなかに手強いです。
名鉄美濃町線

名鉄美濃町線の旅(4)松森飛ばして神光寺へ

最初に廃止された美濃町線の新関〜美濃。てっきり全区間歩いていたと思ったら、なんと!美濃〜神光寺は乗っただけでした(^ ^;;行きのロケハンで収穫がなかったんでしょうか・・・。今となっては、それでも歩きゃよかったのに、と思いますけどねぇ・・・。今度廃線跡を見て歩いてみよう。今だったら歩ける気がする、うん。
名鉄美濃町線

名鉄美濃町線の旅(3)カーブをいくモ590形

専用軌道をいく併用軌道仕様のモ590形。廃止された美濃町線の末端区間はこんな光景が展開されていた路線でした。美濃のカーブが地元新京成のカーブとデジャブったw。やはりカーブ区間はいいですね。くねる線路がくねる車体がエロいエロいwww。今ここはどうなったのやら。道路になったか家が建ったか・・・
名鉄美濃町線

名鉄美濃町線の旅(2)終点美濃駅あれこれ散策

翌年廃止となってしまう名鉄美濃町線の末端区間を終点の美濃側から歩いておりました。そのスタート地点・美濃駅でのスナップです。今も保存されているようなので、今回の写真と見比べてみたいですねぇ。そして再び沿線を歩いてみたいですねぇ。20数年の時の経過の変化の度合いをこの目この足で確認したいですね、早い時期に。
名鉄美濃町線

名鉄美濃町線の旅(1)スタートは馬面電車に揺られて

1998年名鉄600V線の旅、今度は美濃町線です。末端区間だけですが。この翌年に廃止になると聞き及んでその区間だけでも!と来たのだと思います。しかし、どこ行っても同業者はいませんでした。20年前の撮り鉄事情は穏やかだったんでしょうか?やはり半年くらい前にお邪魔するのがいいのかもしれませんね。何事も余裕が大事ですわ。
名鉄揖斐線

名鉄揖斐線の旅(6)夜の黒野の電照案内

1998年にお邪魔した名鉄600V線岐阜西部編、最終回です。今はLED表示が主流となってしまって、こういう電照式の案内ってとんと見かけなくなってしまいました。どぎついフルカラーよりもこういう色合いの方が夕焼け空には似合う気がします。また時代が変わればもしかして・・・?www
名鉄揖斐線

名鉄揖斐線の旅(5)揖斐線の本当の終点・本揖斐にて

1998年名鉄600V線の旅。今度は揖斐線の終点・本揖斐にお邪魔しました。上屋のある頭端駅、関東ではあまり見かけないその形態に、遠くに来たな感を煽られます。谷汲線に時間かけちゃったので駆け足になってしまった揖斐線末端区間。やはり余裕を持った行程組まなきゃいかんですね。20数年前の事柄に反省、です。
名鉄谷汲線

名鉄谷汲線の旅(4)モ750形、終点・谷汲に佇む

名鉄谷汲線の旅、いよいよ終点谷汲に到着です。この駅も保存されてるようですね。いやぁ見に行きたい見に行きたい。この時は秋の夕暮れ時だったので光線状態がどこか寂しげ・・・。谷汲まで来たのは確かこの時だけだったと思われますので、谷汲のイメージはこの時のイメージが全て。やはり同じ秋の夕暮れ時に再訪するのがベストでしょうか。
名鉄谷汲線

名鉄谷汲線の旅(3)長瀬で感じた美濃の秋・・・

1998年名鉄谷汲線の旅。終点を目前にしていろいろ撮っていました。迫りくる山々。焚き火の煙や実る柿。そしてポツンと1本ホーム。いいところを走っていた路線だったんだなぁ。改めてしみじみと感じ入ってしまいました。今はなき20数年前の光景。でもポジの中の光景は明日にでも再会できそうなほど鮮やかな色合いを残しておりました。
名鉄谷汲線

名鉄谷汲線の旅(2)赤石のカーブでモ750形を連写、連写、連写w

名鉄谷汲線、運転本数は少なかっただろうにがんばって走りのシーンも捉えていたようです。天気が良かったから、というのもあるんでしょうね。青い空と赤い電車。フィルムの時代だったのに結構なシャッターを切っておりました。さ、まだまだ旅は続きます。次こそ終点、か???
名鉄谷汲線

名鉄谷汲線の旅(1)のどかな車窓と迫る審判の日と・・・

1998年名鉄岐阜600V線の旅第3弾、今度は谷汲線です。赤石近辺の景色が好きで、ここだけ撮ってとっとと帰っちゃったこともあったような・・・。その時のポジもいずれ出てくるでしょう。数回しか訪れなかったけど妙に印象深く記憶に残っている谷汲線の風景。田んぼが好きなのは今の大佐倉、小湊通いに引き継いでますね(^ ^;;
名鉄揖斐線

名鉄揖斐線の旅(4)谷汲線との分岐点・黒野に到着

名鉄揖斐線に乗って黒野に着きました。市内線直通電車と揖斐線末端区間と谷汲線の3系統が集うジャンクション。あーこういうシチュエーション大好きだなぁ。Google マップで見てみたらレールパークとミュージアムとなって残ってるようですね。これはコロナがどうにかなったらぜひ行かねば。
名鉄揖斐線

名鉄揖斐線の旅(3)伊自良川橋梁から遠く岐阜城を望む

尻毛駅の東方に掛かっていた鉄橋です。鉄橋のプロポーションもさることながら、遠くの山上にそびえる岐阜城にも目を奪われました。久しぶりの開けた場所にシャッターを切りまくり(^ ^;;このあとのスケジュール大丈夫だったのかなぁ・・・帰りの黒野駅の段階で真っ暗になっちゃったようでしたが・・・
名鉄揖斐線

名鉄揖斐線の旅(2)珍駅名・尻毛に逆戻り

たまに出会います。笑いを誘う珍駅名。今回は尻毛でした。地名の由来は湿地帯からの湿気なんだそうですが、なぜにこの文字を当てはめたのか???嫌がらせなのか、茶目っけなのか、はてさて(^ ^;;なんか毛のある駅名はどんどんなくなるなぁ・・・増毛といい、ねぇ。あの駅はまだなくならなそうですが・・・そう予土線の半・・ピー・・・
名鉄揖斐線

名鉄揖斐線の旅(1)途中の美濃北方で途中下車

岐阜市内線を通り越して揖斐線に入って来ました。専用軌道のローカル線。電車は新型もたくさん走ってるのに構造物や風景は昔のままだという。そのギャップが面白かったなぁという記憶が蘇って来ました。また行きたいなぁだけじゃダメなんだよなぁ。15年以上の時を経て今猛烈に痛感しているところ、です。
名鉄岐阜市内線

名鉄岐阜市内線の旅(7)長良川をまたぐ忠節橋を行く

1998年名鉄岐阜市内線の旅、7回目にして(完)です。とりあえず全区間歩いて撮りました。市内線というだけあって車に埋まりながら走ってる感ありありでしたねー。ま、それでこそ路面電車なんでしょうけれど。令和になって、宇都宮のように新たに設置する街も出て来ました。路面電車が見直される時代。風向きは変わりつつあるのでしょうか?
名鉄岐阜市内線

名鉄岐阜市内線の旅(6)忠節橋目指して勾配登る電車たち

名鉄岐阜市内線のハイライト・忠節橋。木曽三川の一・長良川を越えるべく高く設置されたのでしょうか。そこへのアプローチは長い長い登り坂になっておりました。専用軌道よりも急坂感が強調されてるように感じるのは私だけ?古豪、新車、大正生まれ。百花繚乱な日常がそこにはありました。この文化が途切れたのは損失だな。こう思うのも私だけ?