2021-08

名鉄谷汲線

名鉄谷汲線の旅(3)長瀬で感じた美濃の秋・・・

1998年名鉄谷汲線の旅。終点を目前にしていろいろ撮っていました。迫りくる山々。焚き火の煙や実る柿。そしてポツンと1本ホーム。いいところを走っていた路線だったんだなぁ。改めてしみじみと感じ入ってしまいました。今はなき20数年前の光景。でもポジの中の光景は明日にでも再会できそうなほど鮮やかな色合いを残しておりました。
名鉄谷汲線

名鉄谷汲線の旅(2)赤石のカーブでモ750形を連写、連写、連写w

名鉄谷汲線、運転本数は少なかっただろうにがんばって走りのシーンも捉えていたようです。天気が良かったから、というのもあるんでしょうね。青い空と赤い電車。フィルムの時代だったのに結構なシャッターを切っておりました。さ、まだまだ旅は続きます。次こそ終点、か???
名鉄谷汲線

名鉄谷汲線の旅(1)のどかな車窓と迫る審判の日と・・・

1998年名鉄岐阜600V線の旅第3弾、今度は谷汲線です。赤石近辺の景色が好きで、ここだけ撮ってとっとと帰っちゃったこともあったような・・・。その時のポジもいずれ出てくるでしょう。数回しか訪れなかったけど妙に印象深く記憶に残っている谷汲線の風景。田んぼが好きなのは今の大佐倉、小湊通いに引き継いでますね(^ ^;;
名鉄揖斐線

名鉄揖斐線の旅(4)谷汲線との分岐点・黒野に到着

名鉄揖斐線に乗って黒野に着きました。市内線直通電車と揖斐線末端区間と谷汲線の3系統が集うジャンクション。あーこういうシチュエーション大好きだなぁ。Google マップで見てみたらレールパークとミュージアムとなって残ってるようですね。これはコロナがどうにかなったらぜひ行かねば。
小湊鉄道

小湊鉄道、水害からの復活第一弾、石神にキハ200が帰って来た

今年も水害に遭ってしまった小湊鉄道。8月21日に里見から先の区間が復活しました。で、その様子をこっそり見て来ました。気候変動温暖化。これから毎年そんなエラいもんと戦っていかなければならないのでしょうか?未だ復活できていない路線もあるのかと思うと心苦しいです・・・。今年はもうこれ以上水害発生しませんよう・・・。
名鉄揖斐線

名鉄揖斐線の旅(3)伊自良川橋梁から遠く岐阜城を望む

尻毛駅の東方に掛かっていた鉄橋です。鉄橋のプロポーションもさることながら、遠くの山上にそびえる岐阜城にも目を奪われました。久しぶりの開けた場所にシャッターを切りまくり(^ ^;;このあとのスケジュール大丈夫だったのかなぁ・・・帰りの黒野駅の段階で真っ暗になっちゃったようでしたが・・・
名鉄揖斐線

名鉄揖斐線の旅(2)珍駅名・尻毛に逆戻り

たまに出会います。笑いを誘う珍駅名。今回は尻毛でした。地名の由来は湿地帯からの湿気なんだそうですが、なぜにこの文字を当てはめたのか???嫌がらせなのか、茶目っけなのか、はてさて(^ ^;;なんか毛のある駅名はどんどんなくなるなぁ・・・増毛といい、ねぇ。あの駅はまだなくならなそうですが・・・そう予土線の半・・ピー・・・
名鉄揖斐線

名鉄揖斐線の旅(1)途中の美濃北方で途中下車

岐阜市内線を通り越して揖斐線に入って来ました。専用軌道のローカル線。電車は新型もたくさん走ってるのに構造物や風景は昔のままだという。そのギャップが面白かったなぁという記憶が蘇って来ました。また行きたいなぁだけじゃダメなんだよなぁ。15年以上の時を経て今猛烈に痛感しているところ、です。
撮影機材

撮影機材(6)EOS R5 と OM-D EM-1mkⅡ

ネタが尽きたので機材ネタです。最近望遠も広角も付け替えてない。R5は標準ズームだけ。EM-1はマクロだけ。もしかするとコロナ禍が収まって自由に動けるようになっても、機材これだけで足りるようになっちゃったりして(^ ^;;これはコロナ効果?弊害?ま、そのうちわかるかwww
JR東日本

E259系成田エクスプレス、真夏のモノサク往来

炎天下のモノサクです。暑すぎて誰もいませんでした(^ ^;;ま、今N'EXが間引かれちゃってますから花がないといえばないのかも・・・。でも時間帯を狙っていけばほれこの通り30分ヘッド時代のようなカットも得られます。やはり空港連絡特急というのは忙しそうに走っててくれなきゃ。本来の姿はそういうものだと思います。
名鉄岐阜市内線

名鉄岐阜市内線の旅(7)長良川をまたぐ忠節橋を行く

1998年名鉄岐阜市内線の旅、7回目にして(完)です。とりあえず全区間歩いて撮りました。市内線というだけあって車に埋まりながら走ってる感ありありでしたねー。ま、それでこそ路面電車なんでしょうけれど。令和になって、宇都宮のように新たに設置する街も出て来ました。路面電車が見直される時代。風向きは変わりつつあるのでしょうか?
名鉄岐阜市内線

名鉄岐阜市内線の旅(6)忠節橋目指して勾配登る電車たち

名鉄岐阜市内線のハイライト・忠節橋。木曽三川の一・長良川を越えるべく高く設置されたのでしょうか。そこへのアプローチは長い長い登り坂になっておりました。専用軌道よりも急坂感が強調されてるように感じるのは私だけ?古豪、新車、大正生まれ。百花繚乱な日常がそこにはありました。この文化が途切れたのは損失だな。こう思うのも私だけ?
JR東日本

成田線と朝の虹、大きな虹は希望への橋渡しとなるか???

虹ってやっぱり夢がありますよね。狙って出せるもんじゃなきゃ狙って見れるものでもない。条件が揃う場所にいることができなきゃお目にかかれない稀有な存在。白い虹に七色の虹。広い場所で上向いてなきゃ絶対出会えません。電車の中で下向いてスマホしか見てない人らへのアンチテーゼですなww。坂本九さんの歌でも聴きながら次を待ちましょう
名鉄岐阜市内線

名鉄岐阜市内線の旅(5)忠節橋通りは花いっぱい

忠節橋通りに入ってきました。1998年当時はこんな光景が展開していたんですねぇ。2021年に同じ場所で撮ったらどうなるんでしょうか?コロナじゃなければとっとと確認に行っちゃうとこなんですが・・・。それにしても来る電車来る電車みな異なる形式がやってくるので、楽しくて仕方ありませんでした。次回もワンカットずつ違う車両が・・
名鉄岐阜市内線

名鉄岐阜市内線の旅(4)千手堂交差点の賑わい

名鉄岐阜市内線の旅、またまた交差点を90度曲がります。まっすぐ伸びる路線はことごとく廃止されて、クネクネ曲がっていく路線だけが生きながらえている、というのも興味深い。交差点を行き交う路面電車というのは、その街の活気そのもののような気がします。やがて車に乗れる人が減ってもしかしたら・・・そんな時代が来るかもしれませんね。
名鉄岐阜市内線

名鉄岐阜市内線の旅(3)揖斐線直通のモ510形と遭遇

どんな車両にも転換クロスシート、というのが私の中での名鉄の固定観念。特別料金不要でパノラマカーに乗れてしまってたりすると、ますますその感を強くしてました。それを具現化していたようなモ510。最近はロングシート車の方が多いんでしょうか。なんとも優雅な時代を見れていたんだなぁとありがたーくこの写真を眺めております。
名鉄岐阜市内線

名鉄岐阜市内線の旅(2)あれ?札幌にワープしちゃった???

名鉄岐阜市内線の旅、新岐阜駅前から忠節目指して歩いておりました。徹明町でふと脇を見ると・・・あれ?札幌市電?と一瞬勘違いしそうな光景がありました。それもそのはず、元札幌市電の車両ですからねぇ。こういう車両のバリエーションが楽しかったのも岐阜周辺の楽しさだったと思い出しました。あの「恐怖の電停」も写ってましたよw
名鉄岐阜市内線

名鉄岐阜市内線の旅(1)新岐阜駅前は人と車で大混雑

またまた名鉄岐阜シリーズのポジが出てきました。今回は岐阜市内線、揖斐線、谷汲線の岐阜北西部シリーズです。分厚い防湿ボックス丸々1箱≒36枚撮り10本分もありました。しかも全て乗って歩いてで撮ってましたから、この頃はすげーパワーあったんだなぁ・・・。いやいや車両たちもパワフルでしたよ。とくとご覧くださいw
JR東海

1998年の米原駅での2枚、新しい駅舎と古めかしい洗面所

長浜で117系新快速に乗換えましたが米原ですぐ降りちゃったようです。米原駅。できたばかりの駅舎の写真の次のコマには、古めかしいホーム上の洗面所が写っていました。私よりも上の世代の方なら「何度も使ったよ」という方多そうですね。我ながらよく撮ってたよなぁと感心してしまいました。さすがにもう残ってないでしょうねぇ・・・。
JR西日本

1998年北陸本線夜明け前の旅、419系とともに

大好きだった583系。東北本線を13連でかっ飛ばしてた時代をリアルに見てた世代ですから、この419系や715系への魔改造は失神しそうでしたw。でもクロスシートに乗ってしまえば、当時を彷彿とさせてくれる雰囲気が残っており、この時も嬉々としてたんじゃないかなぁ。もう20年以上も前のお話。時間が経つのはあっという間です・・・