鉄路の消えたオホーツク海沿いの200kmを行く

JR北海道
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石北本線の丸瀬布のあたりから国道をそれ、
道道305号線をたどってオホーツク海側に出ました。
すぐに紋別の街です。
ここはかつて名寄と遠軽を結んでいた名寄本線が通っていた街。
廃止されたのが1989(平成元)年ですから
もう35年もの時間が流れたことになります。
街中で「らしい」痕跡はないかいな?
と思ったのですが、
やはり35年の壁は高く分厚く・・・。
仕方がない。
晩飯を仕入れておきましょうか。
と、
立ち寄ったスーパーの脇でこれを発見。

このスーパーのある場所が駅跡地だったんでしょうか。

確かに平らで広い土地だったので
駅があったと言われても不思議はありませんでした。
で、
ここで食料をGET。
さらにオホーツク海沿いを北上することにしました。
最初は、
興部の道の駅で車中泊しようと思ったのですが・・・
諸々の理由により計画変更、
さらに北上することにしました。
道は1本道、
日はどんどん暮れてくる。
さて、
どうしたものか・・・。
で、
興浜南線の終点だった雄武の道の駅で休むことにしました。

道の駅は展望台の付いている立派な建物。
かつてはこの地に雄武駅があったそうです。
跡形も面影もないなぁ・・・。
ただ、
このすぐ傍にスーパーがあったので、
かなり遅い時間まで人の往来はありました。

明けて10月19日。
夜明け前から活動開始です。
ここから先は
計画こそあれど
ついぞ線路が敷かれることはなかった区間。
興浜南線雄武と
興浜北線北見枝幸の間です。
走ってみるとわかりますが、
民家、少ないです。
夜明け前なので余計にそんな風に見えてしまいました。
明かりは
信号と
雪国特有の路肩ここまでよの矢印に付いている点滅灯が
灯るのみ。

途中
走っている車の横にデカいケツ(失礼!)が出現。
なんだなんだ!?
と思ってよくみたら
なんともデカい鹿でした。立派なツノ付き。雄鹿か。
突っ込まれなくてよかったぁ・・・。
しばし並走ののちどっか行っちゃいました。
しばらくすると
今度はなんだかちっこい3匹がヘッドライトの向こうに現れました。
タヌキでしたw。
脇に逃げればいいのに
同じ方向に一生懸命走ってます。
スピード緩めたら道路脇の藪に消えていきました。
・・・クマじゃなくてよかったですわ・・・。

やがて街が見えてきました。
興浜北線の終点だった北見枝幸駅のあった街だと思われます。
街中を走ると
煌々と明かりが点いている場所がありました。

暗くてよくわからなかったのですが、
おそらく北見枝幸駅跡を活用したバスターミナル?
まだどのバスも行き先表示が稼働していなかったので
確認する術なし・・・。
ま、
それらしい場所が確認できたのでよしとしましょう。
ここから先は興浜北線沿いということになります。
それっぽい土手は道路に時々並走するのですが、
駅っぽい広がりや建物もないので確証持てず。
やはり中間の駅は小さな構造物しかなかったか・・・。
明るくなる頃に
久しぶりの道の駅が現れました。

道の駅北オホーツクはまとんべつ。
かつては
音威子府から伸びてきた天北線と
先ほど通った北見枝幸からの興浜北線の
2路線が合流していた
浜頓別駅の跡だそうです。
ここも何も残骸や痕跡は見つけることはできませんでした。
せめてもの救いは
一晩中明かりがついて暖房も効いて
キレイなトイレも使わせていただける
道の駅が存在していること、か。

雄武で車中泊している人は
自分も含めて10数人(台)いましたが
浜頓別は2〜3台しかいませんでした。
まぁ、
街の本当の姿は
明るくならなきゃわかりませんね。

ここからさらに線路のない区間をたどっていきます。
世が世なら天北線が走っていた場所ですが・・・。
目指すは日本最北端の地。
雨がだんだん激しくなってきましたが
果たして無事にたどり着けるのか?
次回、いよいよ・・・

2024年10月18・19日
旧名寄本線 紋別
旧興浜南線 雄武
旧興浜北線 北見枝幸
旧天北線 浜頓別
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