1994年7月早朝の音威子府駅そしていよいよ名寄へ???

過去ポジ・深名線の旅・往路

1994年7月深名線を目指す旅。
まだまだ寄り道しています。
夜行急行「利尻」の2段ハネに揺られて
やってきたのは音威子府でした。

乗ってきた利尻が
この音威子府で長時間停車するのをいいことに
午前3時の撮影タイム。
https://railrailrail.xyz/1994年7月早朝の音威子府での夜行急行「利尻」撮影/

利尻が行ってしまうと
1番列車までずーっと待ち時間(^ ^;;

ボーッとしててもしょうもないので
駅前含めてウロウロしてたみたいです。
駅舎内は
駅ネの人で埋まってたので早々に退散。
とりあえず駅舎を1枚。

立派な駅舎ですねー。
駅から少し離れた通りに出てみると・・・

・・・だーれもいません。
朝4時5時じゃ仕方ないか・・・。
遠くへ来たなと実感する標識。

左方向はまだレールがありますが
右方向はもうすでにレールがありません・・・
急行「天北」があった頃に来るべきだった・・・。
駅前の案内。

かなり昔のままのようですね。
天北線の分岐も確認できるし
何より構内の側線の数がハンパない!。
上の方に描かれている「◯」は
ターンテーブルでしょうか???
では
余韻を引きずったまま駅に戻ってみましょう。

朝日の方が私より先に駅に戻ってきていました。
1994年、平成6年当時の運賃表。
2021年、令和3年との変化の幅はどれくらいでしょうか・・・。

ご案内の下に釘が見えますから
「乗り場は◯番線」
とかがぶら下がったんでしょうか・・・。
そうこうしているうちに
昨晩から待機していた3連ディーゼルのドアが開いた(開けた?)ようです。

こちらはキハ54の車内。
欠き取り部分が多いので
なんとなく広く見えますね。

こちらは昔ながらのキハ40の車内。
青いモケットにホッとしてしまうのは
昭和生まれの証でしょうか(^ ^;;

ホッとするキハ40
に乗ったのかと思いきや・・・

この窓枠から察するに
キハ54の方に座ったようです。
途中で交換したのもキハ54。

この頃はキハ54が
一番幅をきかせていたんでしょうかねぇ・・・。

この次のカットがもうこれでした。

ようやく深名線の北側の起点・名寄に到着です。
車中1泊でほぼ丸1日かけてやっとたどり着きました。
ここからの深名線の旅は↓からご覧ください。
https://railrailrail.xyz/category/過去ポジ・深名線の旅・本編/
さて
ここまでの行程のおさらい
東京→200系やまびこ→盛岡
盛岡→485系はつかり→函館
函館→キハ281系スーパー北斗→札幌
札幌→キハ400系+14系利尻→音威子府
音威子府→キハ54+キハ40普通列車→名寄
令和の今では再現不可能な行程ですね・・・。
当時の切符のコピーが残っていました。

そういや
最近車で出かけてばかりでした。
コロナが収まったら
好みの席の指定を抑えて
どこか遠くへ出かけてみたいもんです。
やっぱりいくなら北海道かなw。

さて
ようやく深名線の旅へのプロローグが終わりました。
というわけで
次回からは深名線の旅からのエピローグをお送りしようと思います。
往路のように真っ直ぐなルートではないことはたしかwww。
ご期待くださいwww。

1994年7月
宗谷本線 音威子府、名寄
canonEOS5 EF20-35mmF3.5-4.5 USM


※ここまでの道中、深名線の道中は
 ↓からご覧ください。
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