長々と続けてきました
今はなきJR北海道の深名線の旅、
いよいよ最終回となりました。
名寄方から始まった
深名線全線完乗の旅、
途中朱鞠内での5時間にも及ぶインターバルを挟み
いよいよ最終ルート
朱鞠内から深川へ進みます。
駅員さんのお見送りシーンまではこちらをご覧ください。
https://railrailrail.xyz/深名線、1994年7月の思い出(7)朱鞠内駅旅立ちま/
さて
先ほど歩いて到達した共栄を過ぎ
添牛内に到着。
![](https://i0.wp.com/railrailrail.xyz/wp-content/uploads/2021/01/D0005401-2.jpg?resize=800%2C534&ssl=1)
ここからの乗客は誰もいなかったと記憶しています。
この先幌加内あたりだったと思うのですが
同業の方が乗ってきました。
背にはザック
肩にはモードラのついたcanonNewF-1。
この頃はFD派とEF派がまだ半々ぐらいだったでしょうか。
私はド近眼だったのでさっさとEF=EOSに手を出してましたが(^ ^;;
と
途中から乗ってくる方々を見かけるようにはなってきましたが
車内はご覧の通りでした・・・。
![](https://i0.wp.com/railrailrail.xyz/wp-content/uploads/2021/01/D0005406-2.jpg?resize=800%2C534&ssl=1)
自分を含めて乗客4人。
優雅な北海道ローカルを満喫するには最高の状況ですが
JR北海道的には・・・という感じでしょう・・・。
夏休み前の7月とはいえ
なかなかに厳しい状況だったといえます。
さて
そんなことはお構いなしに
キハ53はどんどん歩を進めます。
![](https://i0.wp.com/railrailrail.xyz/wp-content/uploads/2021/01/D0005405-2.jpg?resize=800%2C534&ssl=1)
80キロ近い道のりを経て
終着・深川に到着です。
![](https://i0.wp.com/railrailrail.xyz/wp-content/uploads/2021/01/D0005407-2.jpg?resize=800%2C534&ssl=1)
人影まばらな時間帯でしたが
何本もあるホーム
頭の上の架線
そんなところから
大きな街に戻ってきた感がこみ上げてきました。
・・・歩き疲れたのか、本当に数カットしか撮ってませんでしたね。
疲れと窓からの風に癒されまくってたのだと思います。
しばらくキハ53を見ていたら
あっという間に構内の外れの方に移動してしまいました。
![](https://i0.wp.com/railrailrail.xyz/wp-content/uploads/2021/01/D0005408-2.jpg?resize=800%2C534&ssl=1)
今日はあと朱鞠内までの1往復が残っていたはず。
そのための休養、というところでしょうか。
これが深名線関連の最後のカットです。
この1年と少しののちに
深名線は廃止となってしまいました。
最終日も行こうと思えば行けたのかもしれませんが
ヘッドマークつけて
普段見たこともない長大編成を組み
普段いるはずもないほどの人混みにまみれる
そんな最終列車は・・・なんか違うよな・・・
そういう神経の人間なので
あまり最終日の追っかけの経験はありません。
この深名線もしかり。
逆に
こんな普段の姿の方が
記録に値すると私は思っています。
あぁ
いいフィルムが出てきた♪
多少は深名線の雰囲気、伝わりましたでしょうか?
本当は春夏秋冬
できれば雪にまみれたところも見たかったですが
真夏の爽やかな光景もまた良しかな。
ひと夏の記録として
死ぬまで永久保存ですわ(^ ^;;
というわけで
8回に及んだ
1994年7月の深名線の旅、終了でございます。
1994年7月
深名線 添牛内、函館本線 深川 他
canonEOS5 EF20-35mmF3.5-4.5 USM
1回から7回の記事は以下からご覧ください。
https://railrailrail.xyz/category/過去ポジ・深名線の旅・本編/
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