20世紀(戦前)、津田沼は鉄道連隊の街だった

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あえて「20世紀」なんて書くと
はるか昔のような気がするから不思議です。
自分も20世紀の生まれだし
そんな20世紀をうん10年生き、
そうは言いつつも
21世紀になってからもう四半世紀近く経ってしまっているんですよね。
歳を重ねると時間の経つスピードが加速する
とはよく言いますが
今まさに絶賛実感中ではありますw。

まだ小学生だった20世紀に
確か社会科の授業でも結構触れられていた記憶があります。
鉄道連隊。
習志野市以外の学校だとどうだかわかりませんが
市内のあちこちにその遺構があること
その遺構を利用したものも多くあること、
それらのことから
地元を知る勉強の一環として触れられていたのだと思います。
先日京成実籾駅から津田沼の自宅まで
ちょっと長めの散歩をしたのですが
その際
京成大久保駅近くでこの看板を見つけたことで
前段の内容を思い出した次第です。

大雑把にいうと
20世紀初頭に中野から津田沼に移ってきた
松戸から千葉までかなりな路線があった
鉄道連隊の跡地は千葉工業大学になった
北に伸びる演習線は新京成に流用された
東に伸びる演習線は遊歩道となった
・・・といった具合。

この場所は
もと演習線のあった場所。
現在の様子はこんな感じで

2車線の一般道の脇に
未舗装の遊歩道と
舗装されたサイクリングロードが
続いています。
撮り方によってはこんな緑深い感じにも。

小学校で習った社会科の復習となった
休日の早朝散歩でした。

2024年4月21日
京成大久保駅近辺 鉄道連隊演習線跡遊歩道
canonEOS R5 RF24-105mmF4L IS USM

#鉄道連隊
#津田沼
#演習線跡
#RAILRAILRAIL

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コメント

  1. hayakaze より:

    初めまして。hayakazeと申します。

    鉄道連隊の記事拝見しました。通称「マラソン道路」と呼ばれているこの道、昭和40年代末期頃から記憶があります。私は京成実籾駅の近くで生まれ育ち、四半世紀ほど親と住んでいました。(既に当時に家はありませんが、場所は画像の「凡例」の部分に被っている辺りです。)

    小学生の中頃、当時のマラソン道路の一部に線路が残されていた記憶があります。当時はカメラなど持っていなかったのであいまいな記憶でしたが、結構頑丈なレール(多分50㎏レール)が使われていたようです。鉄道連隊の跡地であることは中学生の頃に知ったのですが、それにしても線路があまり使われていないような感じがとても気になりました。
    そんな時、数年前に偶然、某鉄道P誌に掲載された「新京成50周年」特集号に記載してあった記事に長年の疑問が氷解できました。なんと、昭和35年2月に編成された陸上自衛隊第101建設隊が昭和41年3月まで演習線として使用していたとのこと。さすがに現役で車両が走っている姿は見られませんでしたが、僅かな残り香?を感じ取ることが出来ました。

    なお、平成初頭に東京で一人暮らしを始め、現在は都内在住です。

    • oridon より:

      hayakazeさん
       ようこそいらっしゃいませ。
       実籾にお住まいでしたか。
       線路を見たことがある、というのは貴重な体験をされていますね。
       私は教科書等でしか見たことがありませんから羨ましいかぎりです。

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