廃止から33年、北総連絡線跡をたどる

北総鉄道
スポンサーリンク

京成高砂から印旛日本医大を結ぶ北総鉄道。
(末端は正確には千葉ニュータウン鉄道ですが)
今でこそ
成田スカイアクセスの一端を担う路線となりましたが、
一番最初に開業したのは
北初富〜小室という短い区間でした。
しかも
北初富で地上に降りてきて
平面交差で新京成(当時)に合流、
一部は北初富折り返しでしたが
松戸まで乗り入れを行っていました。
そのころに乗りに行ってたのですが
まだ小学生だったゆえ
カメラを持っていっていなかったんですよねぇ・・・。
で、
そうこうしているうちに
京成高砂〜新鎌ヶ谷が開業し、
地平の北初富から高架に上がっていく連絡線は
廃止になってしまいました。
地平時代の北初富を行く北総7000形は確か撮っていたので
その先の連絡線も撮ってありそうなんですがねぇ・・・
・・・さて、どこに埋もれているのやら(おいおい)
そこで
今できること。
廃線跡をたどってみようと思いました。
高架化なった北初富駅脇の駐輪場を進んでいくと・・・

なにやら
高架橋の足並みが揃っていない部分が見えてきました。

さらに入れるところギリギリまで行ってみると・・・

現北総線の高架に対して
斜めに穿たれている複線分の空間。
あぁ
間違いなく
ここが旧連絡線が通っていた場所だ。
こうしてみると
分岐元だった新京成(当時)の線路の真上に
今の京成松戸線の高架が作られたことがわかります。

旧連絡線はここで
北初富駅がまだ地平だった頃でも
すでにこの辺りまで出来上がっていた北総線の高架線をくぐると
鋼材と盛土で作られた勾配を上り
当時はまだ開業していなかった
新鎌ヶ谷駅の今でいうところの下り線部分にたどり着いていました。
今の下りホームから見えるこの右側の小屋のあたりですね。

ここに至る勾配の名残はないかいな、と
線路沿いを歩いてみましたが・・・

トウモロコシしか見つけられませんでしたw。
ここで左側を見てみると・・・

あの小屋の後ろ側が見えました。
やはり
連絡線とはいえ仮のものでしたから
跡形もなく片付けられてしまったようです。

今はスカイライナーが
20分おきに突っ走るようになった北総鉄道。
かつて
松戸まで乗り入れていた
ということをご存知の方、
鉄ではない方で
どれくらいいるのでしょうね?
もう33年も経っているので
いないだろうなぁ・・・。

2025年6月6日
北総鉄道 大町〜新鎌ヶ谷
canonEOS R5mkⅡ RF24-105mmF4L IS USM

#北総鉄道
#連絡線
#廃線
#RAILRAILRAIL

スポンサーリンク
北総鉄道
スポンサーリンク
シェアする
oridonをフォローする

コメント

スポンサーリンク
スポンサーリンク