1994年7月賑やかなりし盛岡駅在来線ホーム

過去ポジ・JR東日本

さて
昨日の続きです。
深名線乗り納めの旅に出るべく
東北新幹線の一番列車・やまびこ31号に乗って
盛岡駅にたどり着きました。
ここまでは↓をご参照ください。
https://railrailrail.xyz/1994年7月東北新幹線「やまびこ」に乗って、いざ北/
1994年当時の東北新幹線は盛岡が終着。
ここから先へは在来線のお世話になります。

在来線ホームに降り立ってみると・・・

いました。
485系「はつかり」です。
東北新幹線が開業するまでは上野を始発としており
583系と共に700キロ以上に及ぶ行程を
毎日駆け抜けておりました。
中学生の頃、その最後の姿を
高校受験がもうすぐだってのに
AE-1+P片手に上野駅で追いかけてましたっけ(^ ^;;
当時はグリーン車食堂車込みの12両フル編成でしたが
・・・6両かぁ、ちょっと寂しくなっちゃいましたなぁ・・・
と思ってたら
ん?
なんか隣にいるw。
スロフ12の800番台?
調べてみたら
国鉄最末期に登場したジョイフルトレイン(おぉこれも死語か?)の
「ふれあいみちのく」だそうです。
立ち位置ずらして撮り直しておりました。

回送だったのでしょうか。
カーテン?ブラインド?がすべて降ろされてて
中の様子がわかりません。
当時は国鉄末期に慌てたように
あちこちでこんな感じの車両がバタバタと建造されてた感があります。
当時10代20代だった私は
あれはお年寄りが団体宴会旅行で乗るもんだ
と決めつけてた風があって(おいおい)
あまり関心を持って見ていませんでしたねぇ・・・。
今ほど情報もないからダイヤもわからなかったし。
でも
この時はきちんと全編成を抑えてたんですよ。

私がジョイフルトレインを撮ってるなんて
非常に珍しいことだと思います。
このポジが出てきて何より本人がたまげてますからwww。

さて
普通の列車にも目を向けてみましょう。
ふと見ると
同じ色合いの車両が停まっていました。

キハ58でした。
かつては日本中どこでもいましたね。
私の地元・千葉でも急行で走ってたのを見た覚えがあります。
いすみのじゃありませんよw(あれはキハ28だったか)、
急行犬吠とか本当の現役時代です、歳がバレますがwww。
この車両は、これ盛岡色とでも言うのでしょうか?
JR化後各地域ごとに様々な独自カラーが施されて
・・・いったいどれくらいのバリエーションがあったんでしょう?
急行がどんどん無くなって
幹線のローカル運用に使われることが多くなってたこの時代。
「北上-盛岡」のサボから察するに
まさにその姿だと言えましょう。
485系とも並べて撮ってました。

さらにフラフラしてたようです。
こんなカットも出てきました。

帯がなくなっちゃった12系。
・・・あ、奥のキハ52も気になる・・・
もとい、12系です。

この頃はまだ50系も走ってたんではなかったでしたっけ?
この時のフィルムには赤い客車は残念ながら写ってはいませんでしたが・・・。
おそらく先頭はED75だったと思うのですが・・・
・・・そこまでは撮ってませんでした(T^T)
この頃は各駅停車といえどほとんどすべてクロスシート装備でした。
日常のなかに旅情が感じられる装備が普通にあった、
今から考えるとなんとも贅沢な時代だったんですねぇ・・・。
701系のロングシート道中だと
色々工夫が必要になってしまいましたから。
私の工夫の仕方は↓をご参照ください(^ ^;;
https://railrailrail.xyz/奥羽本線、雪の雄勝峠へ/

そうこうするうちに
函館行きのはつかりの発車時刻が近づいてきて乗り込んだようです。

485系、こんなシートだったんだ。
このシートに揺られて
青函トンネルを抜けて函館を目指します。
ちょっと長い行程。
しっかり燃料は確保していたようです。

一番搾りはもちろんロング缶♪
「はらこめし」も抑えてるあたり
抜かりはなかったようでwww。

次回は
はつかりに乗って函館に到着します。
函館駅でもまた色々な列車を撮っていました。
つづきます!
https://railrailrail.xyz/category/過去ポジ・深名線の旅・往路/

1994年7月
東北本線 盛岡
canonEOS5 EF20-35mmF3.5-4.5 USM

※深名線の記事は↓をクリック!
https://railrailrail.xyz/category/過去ポジ・深名線の旅・本編/

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