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JR東日本

E231系500番台、早朝の津田沼駅の緩行線ホームを埋め尽くす

早朝の津田沼駅です。始発、出庫で賑やかな光景を見ることができました。遠くに行きにくい昨今ですが、地元にこんな駅があるとまぁちょっと気が紛れます。そんな地に住めていることに感謝の日々。旅に出られるようになったらこの街の良さも伝えていきたい。そんなことも頭の中に浮かび始めてます。
JR東日本

E231系500番台、黄昏時の代々木にて

新宿です。帰宅前の軽い夕練。あっという間に陽が沈んでしまうのですが、そこに行くまでの時間が日に日に伸びていることに嬉しくもあり。令和の東京の光景を撮りたいんですけどねぇ・・・。暖かくなる頃には状況好転してるといいなぁ・・・。いや、状況好転させなきゃね。押さえ込むのは寒いうちに終わらそうぜ!それぐらいの気持ちで、ね。
JR東日本

E217系・月が輝く早朝の津田沼駅3番線ホームに停車中

休日恒例の早朝散歩。この日は珍しく総武本線の津田沼駅へ向かっておりました。JRの駅へ行くのって仕事に行く時と同じ経路だから、休日に辿るのはあまり好きではないんですが、この日はE217系見たさの方が勝ってしまいました(^ ^;;上りの一番快速。うかうかしてると新車に置き換わってしまうでしょうから今のうちに今のうちに・・w
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小田急

小田急GSE・夕暮れのなか西へ向かう

いろいろ撮りたいけれど、遠征はちょっと憚られる・・・。ならばと通勤経路上でなんとかするか!で、事務所から駅までちょっと遠回りして小田急上の陸橋へ。ちょうどやってきたのはGSE。そういやまだあんまり撮ったことなかったなぁ・・・。ビル群の中より田んぼの中で撮りたいとこですわ。
JR東日本

E217系、今のうちに地道に記録をしておこうかと・・・

最近目にする機会が増えたような気がするE235系1000番台。その影で疎開が始まった現主力車両のE217系。まぁ短くされたり魔改造を施されたりしないだけまだ幸せなのでしょうか?毎日見てるだけの生活ですが、今のうちに地道に記録は残しておこうと思っています。あぁ登場した頃は私も20代だったなぁ・・・時間の流れは速いです・・
京成

京成AE成田山開運号、今年の成果は・・・???

毎年恒例となった成田山開運号。終夜運転は中止になってしまいましたが、土日祝日運転のこちらは予定通り運転されました。先頭部に掲げられた「祈」の文字の効力がありますよう・・・。そんな思いを込めながら例年よりは少ない回数でしたが自宅から徒歩5分圏内の地元で撮ったカットです。
過去ポジ・JR東日本

1994年7月深名線をあとにさぁ帰るよ!(4)デビュー直後のE1系Maxでいざ東京へ!

1994年深名線を訪ねる旅、締めくくりは当時の最新鋭新幹線・E1系Maxへの乗車でした。考えてみたらMaxのグリーン車ってこの時が最初で最後でしたわ(^ ^;;思い切って乗っておいてよかった・・・。時には思いっきりも大事だ、という証左ですね。夏空のカットを見て「今年の夏は旅に出たいなぁ」の感が強くなってしまいました。
過去ポジ・JR東日本

1994年7月深名線をあとにさぁ帰るよ!(3)大館から乗ったのは・・・なんとっ!

深名線を訪れた帰路、青森から奥羽本線周りのルートを辿っていたようです。「たざわ」の始発に乗りたいがために大館で途中下車。秋田犬の銅像見たさだったわけではなさそうでした。今となっては秋田をスルーする特急もなくなってしまいました。色々と貴重な体験がゾロゾロ出てきます。過去ポジ発掘、次はどこへ行った時のものが出てくるか???
過去ポジ・JR東日本

1994年7月深名線をあとにさぁ帰るよ!(2)青森から白鳥の乗客になりました!

1994年深名線の旅の帰路。「はまなす」で本州に戻ってきたあと、どうやら「白鳥」乗客となっていたようです。今はなくなっちゃった列車ばかりだなぁ・・。本当当時乗っておいてよかった。今更ながらにそう思います。列車も旬な商品ですからね。いつかは乗りたい、ではなく、今いいなと思ったら乗っておかなきゃ。今まさにそう思っております。
過去ポジ・深名線の旅・復路

1994年7月深名線をあとにさぁ帰るよ!(1)あっという間に青森着?

深名線乗車を達成し、今度は千葉に帰るまでの帰路の模様です。札幌からあっさり「はまなす」に乗っちゃったようです。気が付きゃ青森。はまなすって便利だったんだなぁ・・・。やはり寝てる間に遠くまで移動できる夜行列車の便利さはありがたいですね。今はサンライズで味わえるのみ。収まったら出雲にでも行ってみるかし?
過去ポジ・深名線の旅・往路

1994年7月早朝の音威子府駅そしていよいよ名寄へ???

深名線への旅。ようやくプロローグ完結です。1泊2日の行程でしたが、同じ時間かけても最近ここまで撮ってたことあったかな???やはり乗らなくなってきてることの証左ですね。公共交通機関でのマナー低下を見たくなくて避けてましたが・・。コロナが収まったあと、混雑がこのままレベルだったらリハビリは容易。そう目論んでますがさてさてw
過去ポジ・深名線の旅・往路

1994年7月早朝の音威子府での夜行急行「利尻」撮影会w

1994年7月、深名線にたどり着く前の寄り道道中記。早朝の音威子府での模様です。早朝、と言ってもたしか午前3時台だったと思いますが。誰も降りなかったのをいいことにまぁ駅の中をウロウロしまくってたようです。このあと夜明けとともに蒸し暑くなってきたのですが、夜明け前はさにあらず。ボツカットも含めると結構撮ってたようです。
過去ポジ・深名線の旅・往路

1994年7月夜行急行「利尻」で音威子府へ

1994年深名線を目指す旅、いよいよ宗谷本線に入ります。今はなき夜行急行利尻の様子です。考えてみたら宗谷本線に乗車したのってこの時だけだ・・・。実は稚内も未踏の地。天北線が残ってた頃に計画だけは立てたことがありましたが・・・。夏の道北しか知らないので冬の道北も見てみたい。次の冬、コロナが収まってれば実行か!?
過去ポジ・深名線の旅・往路

1994年7月夜の札幌から夜行急行「利尻」で旅立つ

札幌の夜、といえばすす・・じゃなくて次々と発車する夜行列車が花を添えていました。夜行に乗れば大抵のところに朝着ける。・・・今はみんなバスに持って行かれちゃいましたが、かつては北海道ワイドがあればなんでもできる感がありありでした。この時急行で残ってたのははまなすとこの利尻だけ?この旅の2番目のお目当てがこの利尻でした。
過去ポジ・深名線の旅・往路

1994年7月スーパー北斗いざ札幌へ

1994年深名線へと続く旅、ようやく函館本線の乗客となりました。当時の最新鋭。キハ281系スーパー北斗。今では「スーパー」の表記も無くなってしまいました。色々なところから時代の変化が読み取れます。何気ない車窓スナップに今となっては色々感じるところが増えたのも歳を食ったせいでしょうか・・・(^ ^;;
過去ポジ・深名線の旅・往路

1994年7月は〜るばる来たぜ函館!駅周辺とホームの光景

深名線への序章シリーズ、函館で少しぶらぶらしていたようです。駅もひと世代前だし、今ではいなくなってしまった車両も現役活躍中の時代でした。令和になってから新函館北斗には行ったけど、函館にはまだ行ってなかったなぁ・・・。次回渡道時は是非とも立ち寄りたいです。
過去ポジ・JR東日本

1994年7月津軽海峡線「はつかり」の車窓から。そして函館へ!

1994年深名線への旅。その序章がまだまだつづきます。盛岡から「はつかり」に乗って函館に到着するところまでです。海峡線と新幹線のアプローチ部の工事着工前の光景、これは我ながらよくぞ撮っておいたなぁと感心してしまいました。二度と見れない光景の発見。過去ポジ発掘の醍醐味ですね。
過去ポジ・JR東日本

1994年7月賑やかなりし盛岡駅在来線ホーム

1994年7月の記録。今度は盛岡駅での光景です。新幹線からの接続を受ける特急が発着する駅というのは、思いのほか色々な列車がやってきていたようです。この時も特急電車、ジョイフルトレイン、ディーゼルカー、そして客車。これで貨物も撮ってたら完璧だった?www。タイムスリップ旅行、もうちょっとお付き合いください。
過去ポジ・JR東日本

1994年7月東北新幹線「やまびこ」に乗って、いざ北へ!

深名線への旅の序章、まずは東北新幹線編です。・・・といいつつ東京と盛岡のカットしかないという(^ ^;;この頃の郡山のカットでもあれば興味深かったんですけどねぇ・・・。一昔前の200系を思い出すことができるカットがあっただけでもみっけもんでしょうか。賑やかな盛岡駅在来線ホームは次回ご紹介します。
過去ポジ・JR東日本

東京駅東北新幹線ホーム、1994年まだ1面しかなかった頃

1997年7月、深名線の旅に繋がる部分をご紹介していこうと思います。当時の鉄道事情は現在と随分と異なる点があります。そのほじくりと比較をやったら面白そうだなぁ・・・と。何回に渡るかわかりませんが、まぁ誌上旅行だと思ってお付き合いください(^ ^)
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